中国編第4回 孔子の故郷 曲阜の現在


孔廟にある、孔子が使った井戸

孔林にある孔子の墓

 中央アジアへの入り口、中近東が見えかくれする西安から東へもどり、広大な中国の首都、北京を見た後、孔子の故郷、曲阜(チューフー)を訪れることにした。孔子は紀元前五世紀の思想家で、目上の人を敬うことや、勤勉であること、周りの人に気を使うことなど、仏教とは別に私達東洋人の倫理感を作った儒教の創始者である。グローバル化が進む今だからこそ、大事に思うこの思想を作った人の生まれ育った地を見てみたかった。
 北京から夜行列車に乗って早朝に泰山(タイシャン)に着く。下車前に車掌さんに財布はしっかり、盗まれないようにと言われた。後から思えば朝一番の一言はその日の終わりの出来事を予言していた。泰山から曲阜にはバスで向かう。バスの車掌がお勧めとか言ってホテルに連れていってくれた。部屋はイマイチのくせに高かったが、おそらく車掌はコミッションをもらうのだろう、彼の顔を立ててそこに泊まることにした。しかしこのホテル、暗く汚く、お湯も夜まで出ず、後悔することになった。
 曲阜の町は小さく、ここは孔子の子孫や末裔が住んでいると思うとわくわくした。孔廟(孔子がたてまつられている)、孔府(孔子の子孫の住居)などを見ようと出かけると、それ以外にも色々と観光客向けの展示館があって、それぞれ呼び込みが激しい。しかも高い入場料を取っている。「孔府」では書画が多く売られていたがそのセールスが激しく、蒸し暑い上に余計疲れてしまった。
 孔子の墓がある「孔林」はうっそうとした森で蝉の声が被いかぶさるように聞こえてきた。蒸し暑さの極み。孔子の墓の前でスケッチをしていると一人の青年が話しかけてきた。彼は孔子の75代子孫だと言う(筆談で)。僕も孔子を尊敬していると言うと、僕達は友だちだということになり、僕の住所とメールアドレスをあげた。話を続けているとどうやら彼は日本に行きたいらしく、そのための足掛かりがほしいのだとわかってきた。孔子の直系子孫たる者、旅行者をあてにせずとも簡単に日本に招待されそうなものではないか。怪しいとも思ったが、彼に嫌なしつこさはなかった。
 蒸し暑いので雨が降ると思ってホテルで休んでいたが、ついに降らなかった。それでも夕方から暑さがひいて快適になったので、町にくり出した。明日の朝は青島に向かい、そして夕方には下関行きのフェリーにのる。中国の旅最後の夜になったのだ。露店が立ち並び、人々が屋外で夕食を食べだしている。複数の屋台の前にテーブルが並んでいておもしろそうだった。一つの屋台のおっさんが誘ってきたのでとりあえず海老とチキンを指差して注文し、代金を聞くと「少し」とか言う。とりあえず席に着いた。他にも野菜と魚を勧められたので「少々」と言ってOKした。ビールをやけに丁寧につがれ、おつまみも出してくる。隣のテーブルに座った人々と少し話しながら始めると、次々と大きな皿にチキンとピーマンの炒めもの、海老とピーマンの炒めもの、さやいんげんと肉の炒めもの、同じようなものが次々と出てきた。もう食べ切れない。一皿でも充分だったのだ。食事を楽しむどころではなくなってきた。そこにダメ押しの魚のフライ大盛り。客は一人なんだから少しは考えてほしい。それに、これでは高額になるのでは、と心配しだした。なにしろ、最初に値段を聞いた時にハッキリ言わなかったのだ。西安ではそれで良かったのだが、清楚な孔子のイメージからすっかり堕落してしまった感のある曲阜ではどうだろうか。
 まだ入っているのにビールのおかわりを聞いてくるので、ついに全部でいくらかと聞くと、205元と言ってきた。いつもいつも5元から15元で食べてきた僕は「やられた!」と思いながら、明細を見せてくれと頼んだ。ボール紙に書いてきた明細らしきものを見ると、一品25から55元チャージしている。ビールも10元。「ビールはどこでも3元だろ!」僕はこんな大金は持ってないと言い張った。今度はこのおっさん、男連中3人ほど連れてきて彼らに囲まれた。食べたものは払えっ、とおどしてくる。隣のテーブルに座っていた人々も気の毒そうに見ていた。実際財布の中には90元も入ってなかったから、とにかくがんばるしかなかった。160元にさがり100元になった。この男連中どんなヤツらかわからないので下手なことはできない。確かに財布には90元しかないものの、Tシャツの下のマニー・ベルトには日本円を含めた全財産入っているので、なんとしてもそれに気付かれてはこまるのだった。百元を九十元にしたところで、ここぞとばかり財布から85元を出した。後は四元しか残っていなかった。それでも更に2元要求されたので87元。それを持って男連中は去って行った。一人残ったおっさんに最後の2元もほしいか?と聞くと、へらへらしているだけだったので、僕もそこを去った。警察を呼ぼうかとも考えたが、あきらめることにした。明朝ここを発つこともあったし、ぼられたと言っても日本円に換算すると千円ほどだったのだ。
 孔子の教えはこの町にはもうない。観光地として外貨にたよっているだけの曲阜だった。しかし、彼らはまだ南米などを旅行した時にくらべると、まだ外人旅行者に慣れていないと言える。旅行者はマニー・ベルトを隠しもっていることも知らなかった。中国最後の夜だけに腹立たしいが、暗い、蚊だらけのホテルで眠った。

 夜、目が冷めて、目覚まし時計と腕時計の時間が違っていることに気付いた。フロントの時計を見て、目覚まし時計が遅れていることがわかった。危うく帰国の予定が狂ってしまうところだった。しかし、今度は早朝6時20分発の泰山行きのバスは出発が20分遅れた。もう買っていた、泰山から青島行きの列車の切符をバスの運転手に見せて、どうしても8時13分に泰山駅に着かなければならないことを示すと、大丈夫だと言う。しかし、往きの所要時間を考えると、こんなに客を拾ったり下ろしたりしていては間に合うかどうか不安だった。やがて運転手も泰山到着時間を気にしだした。幸い運転手も車掌も何か考えてくれていたようだ。彼らの計画を僕に説明するため、紙に「打的!」とか書いてくれたが僕には意味がわからない。タクシーを呼び止め、5元で話をつけると僕をそれに放り込んでくれた。そのまま手を振って去り行くバスを見ながら、「ああ、これでなんとか間に合う・・・」と期待。しかし、このタクシーの運ちゃん、たばこをふかして余裕をかましながらのんびり走っている。やはり5元では急がすことができないようだ。ここにも孔子の教えは生きていない。結局駅に着いたのは8時15分。あきらめと絶望の気持ちながらも駆け込むと、改札係は何かを言いながら切符を切っていたが僕にはわからない。次に荷物チェックに引っ掛かったが、そんな場合じゃない!とデイパックをさっと開いただけで走り去った。プラットホームには大勢の人が並んで待っていた。幸いにも・・・青島行きの列車もまた遅れているのだった。





Back to OTHER TRAVELS

BACK TO TRAVEL PAGE

BACK TO TORU HOME PAGE