中国編最終回 再びユートピア号に


青島フェリーターミナル前の通り。11日前は混沌として見えたが

 青島汽車駅からフェリーターミナルまで歩いた。11日前にはじめて着いた時は混沌として見えた青島も、今回は普通の町に見えた。ターミナルでは何人かの日本人をはじめ、日本の工場に研修に行く中国人の女の子の大きなグループが下関行きユートピア号を待っていた。前回1人で占領した大部屋も今回はこの研修員の女の子十人ぐらいと引率の日本人のおっちゃんと相部屋になったのでにぎやかな旅となった。クルーは張君をはじめ、前回とほぼ同じメンバーがそろっていた。夜は二年間の北京留学を終え、帰国の途にある日本人女性と現代中国のことを話し合うことができた。夕方に乗り込んだのに、就寝時、まだ船は出航していなかった。  深夜2時半頃女の子たちが騒ぎだしたので目が覚めた。どうやら出航したようだ。僕も甲板に出て11日間旅をした中国大陸にさよならを告げた。
 次の日は1日のんびりと過ごした。行きと帰りで初めて洋上で晴れになり、同室の西山さんやコピーライターをしている平田さん、九州大学で教えている女性達と食事をしながら、またはコーヒーを飲みながら長話をしたりした。フォワードサロンで本を読んでいると同室の研修生の女の子2人が僕に興味があるようで、ちょっと近づいてきた。日本語はまるっきり習ってないようなので「地球の歩き方」の旅行中国語会話集を逆に使って日本語を教えたりして交流してみた。
 夜は西山さんに誘われ、船内のカラオケに行った。ホステスはこのユートピアのクルー1番の美人の季さん。僕らの同室の女の子のグループとは別に研修生のグループが乗船しているらしく、その子ら数人がすでに来ていたので、彼女らと僕ら二人の日本人とのカラオケ対抗合戦となった。そのうち例の同室のグループも興味を持って入ってきた。同室のグループの誰もカラオケで歌い慣れているわけではなさそうで、僕らの歌を聞いているだけだった。
 西山さんの話だとこの2つのグループは経済的背景や日本での雇用の待遇が全く違うらしい。西山さんが引率している、同室に雑魚寝している彼女らは、雇う側が慣れていないのか、いいかげんからしい。日本語をほとんど勉強してきてもいないし、適格な旅費も出てないようだ。船内の食事も例のインスタントヌードルなどを持ち込んでいる。食堂で出される食事は高くて買えないようだ(もうひとつのグループはちゃんと食堂で食事をとっているのに)。彼女らの日本での給料も最低賃金を下回るようだ。研修生はたいてい、日本では中国とあまりに物価が違い過ぎることにおののいて、外食もショッピングもほとんどできないまま過ごすらしい。しかしそれでも3年の研修期間中に彼女らは頑張ってなけなしのお金を貯金して三百万円ほど貯える。それを中国に持ち帰って家を建てたりするそうだ。
 2日目の朝日が上る前に日本の島々が見えだし、甲板に出た。朝食後いよいよ下関入港に。北京に行った僕と留学生はSARS感染の危険性があるので検査を受けた。入港したものの、先に入港した釜山からのフェリーに大きな団体が乗っていたらしく、下船が遅れた。その間、心配そうな顔の研修生達。日本人乗客が皆えらそうにソファにリラックスしている間、彼女らは簡易な椅子に小さく固まって腰掛けていた。税関通過がまた大変だった。兵糧のように中国から何日分も食糧をもちこんでいたのだ。ソーセージなどは税関役員にとりあげらげられていた。驚いたことに彼女らは1人1人米を一俵ずつ持っていたのだ。日本の雇う側が語学指導どころか持ち込み品の指示も怠っていたのだろう。これから彼女らは研修先でどんな待遇を受けるのだろう。そして日本の生活を少しでも楽しめるのだろうか(僕が中国を楽しんだように)。
 JR下関駅まで同乗の日本人達と歩いて、その後は全員別々の電車に乗ることになった。下関は静かな印象だった。


ユートピア号の甲板

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  中国の印象(2003年の旅行から)
 公衆トイレや電車のトイレから考えると30年前の日本と発展度が似ている。どの町でも路上で人々が集って遊んでいる。夕刻は凧をゆうゆうと上げる人々。昔の日本もそうであったろうか、それとも大陸の人々の気質なのだろうか、どこかに心の余裕がみられる。都市部は表の大通りだけ現代資本主義を象徴するモダンな高層ビルやショップが立ち並ぶが、裏の通りは昔のまま、崩れかけた家、崩れたまま放置された建物に人が生活している。共産国のにおいは薄かった。人々は外国人を珍しそうに見ながらも無視する。しかし、助けを求めるとたいていの人は親切だった。
 古都西安はさすがに古い伝統が社会のシステムをしっかりと作っているように見えた。東部の省が進めているような西洋的近代化を計らなくても、自分達のシステムで発展してほしいものだ。しかし車の運転は恐ろしい。皆々が「我先に」で進んでいる。自動車がなくても人力車、自転車ばかりの昔ながらの交通形態が通りには似合っていると僕には思える。自動車が多くなった現代でも、(どんな乗り物に乗っていようと)人々は昔のままの態度で路上を闊歩しているのだから。しかし、自動車も、自転車も、歩行者も混沌の中を器用に動きまわっているのには感心する。



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