シリア、ユーフラテス川での休日

 夏に中近東諸国を旅するなんてやはり暑い。エジプト、ヨルダン、イスラエル、シリアといった国々にいたのは93年夏。いつも話題になる政治的に不安定な国々である。シリアの人々が人なつこかったことは、それに対して不思議なコントラストがあった。。ヨルダン側からシリアに入り、やはりメソポタミア文明のものが見たいと、ユーフラテス川沿いにイラク国境近くまで行く。遺跡を見るよりも暑さでまいってしまう始末。
 その後、ユーフラテス川沿いに北上してアル・ラッカーという町で一泊することにした。金曜日(休日)ということもあり、人々は大人も子共もユーフラテス川へ水泳にいく。僕も水着に着替え、川へ向かうことにした。そのうち、ラジオを聞いて英語を勉強をしている少年をはじめ(彼は実際に大きなラジカセをもって歩いていた。)、子共たちがこの珍しい東洋人についてきた。ユーフラテス川は水泳客でおおにぎわいだった。僕も泳いでいるうちに若者数人のパーティに招かれ酒を飲みながらの大騒ぎになった(イスラム教の国では酒は禁じられているが、なんのその)。  その夜は彼等に案内されて町を散歩したり、そのグループの一人で英語をうまく話す学生、カレッドの家に招かれご馳走になったりした。彼等は比較的上流階級なのだろう、ロシアへ留学したことのある者が多かった。翌日もカレッド君が町の遺跡へ案内してくれたり、彼の家で長く話したりした。もちろん彼も英語を話すのが目的だったのだろうが、それでもこの土地の若者とじっくりと話ができたのは収穫だったと思う。遺跡を見たことよりも、こうした出会いが、土地から土地へと動いていた僕の旅で最も大切なことだと思っている。




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