エルサレムの印象

 ヨルダンはエジプトに比べると整理されていて、物売りに付きまとわれることもなく、ずっと楽に旅ができた。もっともこれは男性である僕としての印象であって、(イスラム圏外の)女性の旅行者の経験はまた違ったものだろう。
 世界的に有名なペトラ遺跡を訪ねた後、首都アンマンにやってきた。大都市ではあるが、カイロのような喧噪さはない。ピタ・ブレッドにホマスをつけて食べる食事が安くておいしくて、毎日そればかり食べていた。ホテルで同室になったのはパレスチナ人のおじさんだった。パレスチナというのは現在、となりのユダヤ人の国イスラエルの領土内だが、ヨルダンも自分達の領土と主張して「ウェスト・バンク(ヨルダン川西岸)」と呼んでいる地域である。さらに複雑なことに、パレスチナ人自体はどちらの国からも独立を望んでいるのである。
 有名なエルサレムはそこにある。キリスト教にとってもユダヤ教にとってもイスラム教にとっても聖地という、とても重要かつ複雑な場所だ。僕はやはり中近東旅行のハイライトであるエルサレムに行くことにした。一九九三年夏、当時、イスラエル〜ヨルダン国交は安定していて、ヨルダンはウェスト・バンク旅行特別許可証を発行していた。この許可証はパスポート上のスタンプではなく別の一枚の紙で、ヨルダン出国、イスラエル入国のスタンプはこの紙に押される。これは中近東旅行者にとっては大事なことになる。というのは、もしイスラエルに入国したことが発覚すれば、シリアやイランなど、イスラエルを敵視している国々には入国できなくなるからだ。この紙をイスラエルからヨルダンに再入国後破棄してしまえばなんの証拠ものこらない。
エルサレム旧市街の路地
 バスはヨルダン川東岸に着く。ここでヨルダン側の旅行許可スタンプを受け、いよいよバスは橋を渡る。ゆっくり渡ったが、この橋は、二〜三百メートルぐらいの短いものだったと思える。そしてここはもうイスラエル領だ。青いダビデの星がひらめいている。イスラエルの入国管理局。さすがにここでは緊張した。管理官は若くてきれいな女性だったが、「どのくらいイスラエルに滞在するのか」と、はっきり言っていた。もしここで「ウェスト・バンクには ・・・ 」などと口をすべらそうものなら、即ヨルダンにもどされたのではないだろうか。
 無事「イスラエル入国」をはたして砂漠をつっきり、エルサレムにやってきた。石の城壁に囲まれた古い町に多くの人々が歩いている。青空市が活気づいている。ニュースで見聞きしている危険な町とは全く印象が違った。
  紀元前十世紀からの歴史をもつエルサレムの旧市街は古い城壁に囲まれたわずか1キロメートル四方の小さな町である。迷路のように入り組んだこんな小さな町がユダヤ教、キリスト教、イスラム教、そしてアルメニア教の聖地としてわけられているのだから大変である。ユダヤ教の有名な「嘆きの壁」に使われている高い城壁の上がイスラム教のテンプル・マウントになっていたりする。こんな中で敵対している宗教がよく混在できるものだと感心するが、考えてみれば、元は同じところから出発したこれらの宗教がお互いに混じり合わないのも不思議だと思う。

ドーム・オブ・ロックのあるテンプル・マウント
ここでも多くのイスラム教徒が殺された。
 嘆きの壁では黒く正装したヒゲとカーリー・ヘアの信者をはじめ、世界中からやってきたユダヤ教信者が頭を揺らしながら壁にぶつぶつと話し掛けている。壁の石の隙間には願いを綴った紙がいっぱい差し込まれていた。
 この嘆きの壁を見ようと狭い路地を歩いていた時、子供連れのユダヤ系の家族が僕達のすぐ後を歩いていた。彼等も嘆きの壁に向っていたようだ。その子供が僕達を押し退けて前へ走ろうとしたので、よその子供ではあるが、注意した。するとその母親が、「私達の行く手を阻まないで!」と逆に叫ばれてしまった。  またある時、こんなことを目撃した。僕の前をユダヤ教の法典を読みながら歩いている男性がいた。彼は、アラブ人の子供が数人、道ばたにある石碑の周りで遊んでいるのを見かけると、彼等の体をつかんで強引に払いのけたのである。ユダヤ人の何か由緒ある石碑だったと思われる。
 こういうことを目の当たりにすると、この町の緊張を感じるし、ユダヤ人が彼等の宗教と国を守るためとはいい、多少ごう慢になっているのではないかとも思う。スーパーマーケットにもバスの隣の席にも武装して機関銃を持った兵士がいる。周りは全てアラブ諸国の中近東で、ユダヤ人の「約束の地」、イスラエルを守っていくにはさすがにタフにならざるを得ないのか。
 エルサレム郊外にあるホロコースト・ミュージアムを訪れた。ここにはナチスによるユダヤ人大量殺人の記録が展示されていて、ナチスの仕打ちがいかに惨いものであったかを写真などでまざまざと訴えている。イスラエル兵のグループも武装したまま、見に来ていた。この歴史を忘れてはならないという目的で建てられたとはいえ、そこに見せられているナチスドイツ兵の姿は、現在、武装して近隣のアラブ諸国を攻撃しているイスラエル兵とオーバーラップする。「目には目を、歯には歯を」がユダヤ教の教えににあるが、こんな調子ではいつまでたっても真の平和はこの土地には訪れないのでは、とさえ思われた。

エルサレムを去る朝。この町の難しさを思う。




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