ナイル中流地域で

 エジプト旅行中もっとも疲れたのは人間だった。旅の途中での人との出会いは楽しく、いろいろな人にお世話になったものだが、エジプトに関しては人間不信が募るばかりだった。
 カイロで親しくなった子供ふたりがピラミッドを案内したいというので翌日待ち合わせをして行ってみると、連れていかれたのは押し売りの土産物屋だった。こんな子供までが人を担ぐなんて、と思うとやりきれなくなった。旅の途中の良い出会いを期待していただけに失望した。カイロが大嫌いになった。
 ナイル川に沿って南下する旅行者はたいていが北の首都カイロの次は一気に南の古都ルクソールまで行ってしまう。僕はどこか途中のへんぴなところをも見たくなって、ナイル中流のマラウイという町で電車を降りた。さすがに旅行者はめずらしいらしく子供も大人も「ウァットイズユアネーム?」と聞いてくる。これは日本人の子供が外人を見かけると「ジスイズアペン」と言っているのと同じで、おそらくエジプトの学校で最初に習う英語の言葉なのだろう。

船着場の子供達。向って右端がタリア


大家族と共に

 安い宿をとると、近郊にある遺跡、テル・エル・アマルナ、ベニ・ハッサン、そしてトゥナ・エル・ガバルを訪れることにした。途中の船着場で、子供たちが僕を囲み、物を売り付けたり、せがんだりで大変な騒ぎになり、船頭さんが追い払うことがあった。ただこの中の子供のひとりにタリアという女の子がいて、帰りの舟が着く時まで待っていてくれ、小さなプレゼントを渡してくれた。エジプトの数少ないほのぼのとした思い出である。
 トゥナ・エル・ガバルの遺跡を訪ねると、毎度のことながら、ガイドに捕まり、高い案内料をとられた。しかし彼は、そこにピクニックに来ていた家族に僕を紹介してくれた。この家族、旦那と、二人の妻と、九人もの子供(ティーンエイジャーの女の子から小さな子供まで)の大家族で、僕を大歓迎し食事を分けてくれた。その後トラックに乗って彼等の家へ招待してくれた。さらにごちそうになったり、足を洗ってくれたりと、大変なもてなし。僕もお礼に似顔絵を描いたりしてあげた。やはりカイロと違って観光地を離れると、いい出会いがあるものだと嬉しくなった。
 夕方、旦那がマラウイの僕のホテルに送ってくれた。ところが最後に、「タクシー代払え」と言ってきた。好意からと信じていた僕は怒りが込み上げた。わずかな金だけ払い、追い返した。  僕は大きく落ち込んだ。この家族はもともと、みんなで金目当てに僕をもてなしたのか、それとも旦那だけが最後に欲を出したのか。いや、例のガイドが最初からそのように旦那に示唆したのか・・・。エジプト人への僕のイメージはこれで最悪になった。
 しかし今思うとやはり、貧しい国を旅行する先進国の人間に地元民が期待するものは、まず金というのは自然なことに思える。僕もそれを踏まえて最初から接するべきだったのかと思う。経済のギャップは本当の公平なつきあいを期待できなくしているのかもしれないと思うと悲しくなる。





BACK TO WEST ASIA

BACK TO TRAVEL PAGE

BACK TO TORU HOME PAGE