アレキサンドリア・デューティ・フリー・ショップ

 さて、ギリシャの南端クレタ島からエジプトまで南下するには豪華客船しかなかった。貧乏旅行の身にはとてつもなく高く感じられた。この客船はイタリアとエジプトのアレキサンドリア間を運行していて、お金持ちのイタリア人観光客でにぎわっていた。しかしこの船で同室になったのは、同じバックパッカーのアメリカ人とベルギー人だった。このベルギー人イゴルはその後何度も出くわし、一緒に旅行することになる。
 アレキサンドリアに着いた僕は興奮していた。崩れかけたような古い建物、様々な物売りでごった返した界隈、、、南米から1年半、ひさしぶりに第3国にやってきたのだ。イタリアにもギリシャにもなかったエネルギーがここにはある。アレキサンドリアは今から思い出すと海からの風が気持ちよい、エジプトで唯一過ごしやすかった都市だといえる。カイロをはじめ他の場所は人々の喧噪と熱風でとにかくまいってしまったのだ。

イゴルとMursi Abul Abbasモスク
 船の中で知り合った5人の旅行者は一緒の宿に泊まった。チェックインしたとたん、宿のひと(というか宿につるんでいるやつら)から頼まれた。みんなで一緒に空港内のデューティ・フリー・ショップに行ってほしいという。イスラムの国ゆえ酒は外国人しか買えず、当然一人ボトル3本までである。金は渡すからひとりひとり3本づつ買って欲しいというのである。いかがわしいが別に断る理由もないので彼等の車に全員乗り、空港まで行った。外国人5人全員、指事されたとおりのボトルを何気なく装ってレジに並んだ。変なことに巻き込まれるんじゃないかとちょっと心配していたが、レジのおっちゃんは別に不振な様子も見せず、無事、計15本の洋酒ボトルを車に運び入れた。
 大量の洋酒を手に入れて彼等は大喜びだった。でもおそらく彼等は同じことを外国人泊まり客すべてに頼んでいたにちがいない。彼等が飲むのではなくて誰かに売り付けて商売をしているのだろう。レジの人も毎度のことと分かっていたのではないか?これも文化も法律も違う国ならではの体験だった。
 わざわざ頼みを聞いてやったので、宿代1泊ぐらいただになることを期待したが、何もなかった。この辺がエジプトの商売人らしいところで(ずうずうしい)、それがこれから経験するエジプトを象徴していた。





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