アテネでの一夜

 イタリアからユーラシア大陸を横断してインドまで行こうと再びアメリカを出たのは1993年の5月だった。南米放浪から1年半が過ぎていた。
 ローマからはじめたイタリアはただひたすらミケランジェロの彫刻に魅了され続けた。彼の作品の魅力は、完璧さと未完成とが一つの作品に混在していることだろう。いくら見ても見たりない思いに駆られる。イタリアは彼の作品を観にくるだけでも価値があると言い切れる。

 僕はイタリアのブリンディシからギリシャのパトラスまでの船のなかで会ったM氏と一緒にアテネまで旅することになった。オリンピアもナフリアンも崩れた遺跡や彫刻のかけらがごろごろ転がっていた。彫刻について言えば、イタリアの完成美に至るまでの過程を見ているようで楽しかった。ギリシャ人は、硬い石を征服して、いかに生きているもの、有機形態にみせられるかにエネルギーを注いだようだ。東洋美術の、自然の形をそのまま生かして見せるという考え方と正反対で、その後の西洋美術全体に通じる一貫した観念だとおもう。

 ギリシャのアテネといえばパルテノン神殿やゼウスの神殿など見事な建築と彫刻のイメージがあり、どこか神秘的な響がある。でもヨーロッパのはずれ、中近東に近いこの街はやはり隈雑で危険な大都会だった。昼間観光して夜は都会をうろついた。ある晩、街中で一人の男が僕たちに時間をきいてきた。そこで彼がスペイン人だというと、僕はスペイン語を交えて話した。その日は彼の誕生日なのでご飯をおごりたいなどどいう。そこで僕たちは近くの食堂でいっしょにご飯を食べた。彼はスペインの船乗りで個人的に旅行中だが、今夜はホテルに泊まっているという。誕生日なのでとにかくハッピーだった。別れ際に彼は今晩はホテルのパーティに招待されているが、一人で行くよりも誰かと行く方がいいのでと僕たちを誘った。そのままタクシーに乗りこませ、あっという間に連れられたところは明らかにホテルではなかった。ドアをあけると女の子たちがステージで踊っていて、ボックスシートに座ると、すぐにセクシーな女の子たちに取り囲まれた。すぐに酒がつがれ、女の子はなれなれしく寄りそってくる。いきなりでびっくりしたもののとりあえず楽しもうとする。女の子たちはユーゴスラビア、ポーランドといった国からの出稼ぎ労働者だ。しかしもういきなり夜の交渉になったりし出すし、高そうなボトルが開けられ、つがれようとしている。僕はこのスペイン人にこれは困る、どうなっているんだというと全部彼のおごりだから心配するなという。しかしいくら何でもこれは都合が良すぎると、かたくなにその酒を断わり続けた。僕とM氏はここで決めた。逃げよう!トイレに行くふりをして立ち上がるとドアの方に向かい、合図をして一目散に逃げた。従業員が「誰がはらうんだ?!」と叫んでいたが「その友達だ!!」と言いながら。M氏のサンダルが脱げたが、かまわずひたすら走った。
あんなのにつかまったら、あり金全部持ってかれるとこだった。スペイン人と言っていた男はスペイン語は流暢ながらスペイン人独特のアクセントがなかった。タクシーの中で運転手に何か言った流暢すぎるギリシャ語も見逃さなかった。おそらく旅行者のふりをして旅行者に近づくギリシャ人だったろう。美しい東欧の女の子たちと遊んだ時間がわずかだったのが悔やまれるが、、、。しかし第3世界の入り口に来たものである。




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