イラン、カスピ海 日本の風景をもとめて
カスピ海南岸には高床式の家や倉があって日本と同じ様な風景がある...というのを以前本で読んでからずっと興味をもっていた。日本からそんなに離れた地にある日本と似た文化、やはり昔の騎馬民族は大陸を駆け巡ったからだろうか...
西アジアを旅行したのはやはり西洋と東洋の文化のかけはしみたいなものを見たかったからだ。中でもカスピ海南岸と中央アジアはどうしても見ておきたかった。しかしそれらの位置するイランは一週間の通過ビザしかもらえず、途中もう一週間延長したものの、なかなか大きな国だけに駆け足の旅行になった。
カスピ海南岸のリゾート地Ramserへバスを乗り継いで着いた時は日がとっぷり暮れていた。看板も何も読めない僕がホテルかなと入ったところは、建築設計事務所だった。英語はほとんど通じない中、わずかのトルコ語など駆使して寝るところを探しているのだと主張すると、建築士の一人マサッド氏の家に泊めてくれることになった。家族もこの珍しい来客に喜んでいたようだ。夕食から風呂からすっかりと世話になった。イランでは町中では酒も音楽も禁止されているが、家ではテレビを見(アメリカ映画をやっていた。)、音楽を聴き、自家製ワインを飲む。NHKの「おしん」をテレビでやっていて人気があった。僕が高行式の家が見たいのだと写真を見せていると、何とそれはRamserではなく今日通りすぎたRasht近郊にあるらしい。翌日Rashtに後戻りしなければならなくなった。
翌朝、マサッド氏のいとこがカスピ海まで案内してくれた。なるほど緑の山々のある風景は日本を思い出させる。ここは海抜以下で年中気候がいい。カスピ海は穏やかで白く見える気がした。この向こうにアゼルバイジャンやトルクメニスタンといった国々があるのだ。(僕はこれらの国へ行こうとして失敗していた。)
Rashtへ戻るバスはカスピ海南岸の穏やかな天気の中を走る。バスが停まり人々が乗り降りするが、男は前から女は後からと決まっている。それでも女性は降りた後、必ず前へ行き運転手に切符を渡している。女性は皆頭の先から足の先まで黒づくめである。女性と隣り合せに座ることはまずない。Rashtへ近づくにつれわらぶき屋根の家が多くなり、正に一昔前の日本の様な風景が見えてくる。Rashtのバス・ターミナルへ着き、先に次の目的地、中央アジアに位置するMashadへのバスをチェックすると出発まで1時間しかなかった。何しろ1週間しかビザのなかった僕は急がなければならなかったのでそのバスに乗ることにし、タクシーを使ってその辺を廻ってもらい、家や倉の写真を撮ることになる。実際高床式の家というのはよくわからなかったが、僕はその奇妙に‘和式’の風景に満足していた(英語の通じない国でタクシーを使うのはかなり疲れたが...)。何とかバスの出発に間に合い、中央アジアMashadへ出発した。Rashtから16時間の長い道のりだ。運転手はもはやインド・ヨーロッパ 系にもモンゴル系にも見える顔をしていた。
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