イランは西アジアの真珠といわれる町イスファハーンにいた。ここはブルーのタイルの美しいモスクがいくつもある古都だ。ここで一泊して観光した後、長距離バス停で次の町への夜行バスを探していると一人の男が声をかけてきた。少し小太りで髭をはやしたこの男はフレディというテヘランの住人で英語がうまい。イギリスに留学したことがあるという。僕はゾロアスター教本山のあるヤズドへいくつもりだったが、彼はシラーズに先に行く方が能率よいと示唆してくれ、彼自身もシラーズで約束があるとのこと。かくして別々のバスだったが二人ともシラーズに早朝ついた。バス停でこの男と待ち合わせ、仮眠をしたあと結局一緒に行動することになり、宿をとった。 |
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シラーズには有名なダリウス大王の建てた紀元前6世紀のペルセポリス遺跡があり、半日そこを訪れ(これはなかなか大規模な遺跡だ。)、一方フレディは友人とコンタクトをとりに行った。彼の友達との予定がうまくあわないとかで翌日結局ヤズドにも一緒にいくことになる(なぜか彼はヤズドを奨めなかったが)。目当てのゾロアスター教寺院を探す時も彼がいろいろと助けてくれた。一緒に食事をし、バスにのったり、宿をとることになるので当然支払いのことがでてくる。彼はどちらかが交互に何でも二人分払い、差額は後に精算するようにしようと言ってきた。初めは交互に払い合っていたのだが、彼は持ち金がなくなり、僕が続けて払い出した。 |
古代ペルシャのペルセポリス |
彼は仕事場からのマネートランスファーを待っていてそれがクリアすれば払い戻すという。そのためにしょっちゅう僕を待たせて銀行にチェックしに消えた。僕は彼に疑いを(もちろん初めから完全に信じてるわけではなかったが)持ちだす。このまま金を借りたまま消え去られるといつも覚悟していたが。彼が一人宿の部屋にのこり、僕一人で町を観光した時なども荷物を持って逃げられるのでは思い出し慌てて帰って来たことがあった。でもそういったことは全くなかった。一応教養のある人間だったことはたしかで彼とは話がいろいろできたし、僕のやろうとすることは精一杯助けてくれた。それなりに感謝している。この間彼は何度もマネートランスファーのチェックをしに行っていたがまだらしかった。 ヤズドからさらにケルマンまで一緒に旅した。そこから彼の友人がいるという近くの町ザランドにいってそのお宅で泊まらせてもらおうということになった。友人への手土産を買ってバスに乗り込む。日はとっぷりと暮れて終点のその町に着き、バスを降りて歩き出すと彼は突然、今までいつも持っていたハンドバッグがないことに気が付いた。バスの席に忘れて来たようだ。僕たちは地元の人の車をつかまえ、乗っていたバスを探したり、もう家に帰っていた運転手をみつけて尋ねたが見つからなかった。彼にとっては大切なものすべてが入っていたという。身分証明書や銀行通帳といったものでそれらなしでは何もできない。例のマネートランスファーの現金のひきだしもだめだ。例の友人宅は何年も前に来たのでどこにあるかわからないという。途方に暮れ交番で事情を話していると、気の毒に思って警官が彼の自宅に僕たちを泊まらせてくれた。この辺がイランらしい親切な話である。 |
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バムにある砂漠の中の遺跡 |
翌日は朝からこの町中あちこちでハンドバッグについて尋ね歩いた。ある人は哀れんでフレディに少しのお金をわたした。涙ぐむフレディ。僕は気の毒ながら呆れ返るやら腹立たしいやらでどうしようもない気分だった。彼はまだその町で捜索をするつもりだったが、僕はイランは通過ビザしかもらってなかったのでもう2日以内に出国しなければならなかった。まだそれまでに南東部砂漠のオアシス、バムというところの遺跡を見ておきたかったのでフレディをおいて先に進むことにした。フレディはこの町から父親に連絡してとりあえず通帳なしでお金を受け取る方法があるという。ただそれには1日かかるので翌日僕をバムに追いかけてきて借りているお金を返しに来たいという。 |
そこでお互いの連絡先を決め、僕をバス停に送ってくれた。正しいバスに乗り込むのを見届けて手を振った。 さてバムからザランドのその電話番号にかけてみたが、やはり誰もでなかった。僕のホテルにも彼からの電話はついになかった。フレディがくれたテヘランの自宅のアドレスを人に見せると完全なものではないと言われた。かくしてフレディはまんまと僕をまいたのである。いろいろ不振な点が思い出される。たとえば一度ヤズドで彼の写真を撮ろうとすると彼はかたくなに拒んで撮らせなかった。銀行に行く時も必ず僕を別の所で待たせておいた。5日間も一緒に過ごしたフレディはいったい何者だったんだろう。お金ほしさに旅行者を狙っていたのなら、そのチャンスはいくらでもあったはずだ。何もイラン中部イスファハンから南部のこの町まで大旅行をする必要はなかった。そんな目的があったのならとうにやっていたろう。実際、僕は彼のくれた漢方薬らしきものも断わらずに飲んで何もなかった。何もかもがわからない。彼の正体も、僕といっしょに旅をした理由も、本当にハンドバッグをなくしたのかかも。気の狂った男だったのかとさえ推測してしまう。 最近になってこう考える。彼が一度イランにあちこちいる秘密警察のことを話してくれた。彼等は常に一般市民のふりをして人々の言動を観察しているという。だから反政府的なことは公の場では言えないのだと。彼等につかまって消息を絶つ人も多いらしい。ひょっとしたら彼自信が秘密警察だったのではないか。外国人を入れないようにしているこの国の政府は旅行者に対しても警戒心が強いかもしれない。一人ふらふらしていた僕に目をつけて出国間際まで僕を監視していたとはいえないだろうか。銀行に行くと偽って定時報告をしていたのかも知れない。ただ交通費や食費までは政府からもらってなかったのでこういった手を使った。 ところでこのころイランはとても安く旅行できる国だったので、彼の為の支出は全部あわせても10ドル(¥1400)ぐらいだった。 |