日本人だと騒いでいた看護婦さん達
南米エクアドルのクエンカという町にいた時、突然僕は高熱と激しい頭痛に襲われ、ホテルで寝込んでしまった。三日経っても全然治らない。しかし僕はビルカバンバという村で友達と落ち合う約束があったので、必死でバックパックをかついでバスに乗った。ビルカバンバの近くまで来た時、隣に座っていた女性が僕が病気だと知ると、ビルカバンバには良い病院があって、そこで看護婦をしていると話してくれた。僕は約束のホテルで友人と再会し、翌朝その病院へかつぎこまれた。なんとその病院は、「大谷幸吉病院」という名だった。世界一の長寿村で有名なビルカバンバへ調査に来た日本の大谷幸吉教授による多額の寄付金を基に作られたという近代的な病院だ。
僕はその病院に入院して治療を受けた。マラリヤ予防のため飲み続けていた薬の副作用だろうと診断された。または、この前ジャングル・ツアーに参加して、何かの細菌にやられたのではないかとも思う。ともあれ友人と看護婦さん達のおかげで、まもなく僕は回復しだした。ところが三日目、病院はだいぶん良くなってきていた僕を追い出した。このころ流行っていたコレラの患者が入院し、他の患者への感染を防ぐためだ。ホテルでもう少し静養することにした。
この村で過ごしてみると、なるほど人が長生きするわけが解るような気がした。年中一定に温暖な気候で、ゆるやかな緑の山々、気分的にものんびりする。子供に「お祖父ちゃん何歳?」と聞くと200歳などと答える。それは大げさだがまんざらうそでもないかも。かなりの高齢者は成年月日の記録を持たないのだ。それに村の人々が実際の年齢よりもずっと若く見えるのも事実だ。年を聞いて何度か驚いた。
数日後、すっかり元気になった僕は友人とビルカバンバを後にし、ペルーへと向かった。