Page1: バークレーの版画工房


 アメリカ大陸を西から東へ一往復して出発地のロサンゼルスに帰ってきたのは四週間後、六月の初旬だった。ダイマル・ホテルには京都教育大学の先輩が泊まっていてびっくりだった。彼もこれからアメリカ旅行を始めるところだったようだ。また、グアテマラでスペイン語を勉強して帰ってきた旅行者から体験談を聞き、これが、後の中南米旅行の切っ掛けとなる。一ヶ月寝起きを共にしたユウスケともここでお別れだった(後に彼から受け取った手紙で、結局彼も中南米を一年ほどほっつき歩いたことを知ったが)。僕はカリフォルニアのもう一つの大きな都市、サンフランシスコに向かう。一ヶ月かけて八千マイルもの旅をしたのに、今また出発地のアメリカの西海岸ににいるのが不思議ではあった。
 サンフランシスコのグレーハウンド・バスターミナルに着いたのは早朝だった。ロサンゼルスと同じような大都会を想像していた僕には、この街の静けさが意外で新鮮だった。ユースホステルに向かうために乗ったトロリーバスが坂道で停車した時の、エンジン音無しの静けさと、車内に差し込む白い日射し。窓からは青空の下、狭く急な坂道を歩く人々が見える。海岸を歩いてヨットハーバーへ行ったり、芝生に寝転んで船を見ていると、心底、のんびりした気分になった。ヒッピー文化が残っていたり、小さな日本町があることなども、僕をほっこりさせてくれた。「ここに住んでみたい」と思った。
 僕が研究生をしていた、京都精華大学版画科の黒崎彰先生から近郊の街にあるいくつかの版画工房の電話番号をもらっていたので、訪ねてみることにする。その内の一つ、バークレーのカラ・インスティテュート (Kala Institute) に訪れた時は、ディレクターの一人、仲野さんが出迎えに来てくれた。古い工場のビルの一フロアを版画工房とギャラリーにしていて、丁度この日オープンスタジオとセールをやっていたので、ここで活動している多くの版画作家の作品をみることができた。ニューヨークとはまた違った形でのアーティストとの交流ができてうれしかった。
 カラ・インスティテュートは非営利団体として版画家が会費を払えば二十四時間自由に使えるよう設備を提供している。パリにある、やはり版画家が集まってくる工房、アトリエ17で出会った日本人の仲野さんとアメリカ人のアルチャナが意気統合して、理想的な版画工房、また実験アートの場として始めたカラ・インスティテュートには、世界中から版画家がやってくるそうだ。日本では大学にしかないような充実した設備を使って制作できるのは、僕にとっても魅力的だった。それにまして、僕を惹き付けたのは、この仲野さんとの会話だった。彼は同じ関西出身で京都精華大学の黒崎先生の知り合いだが、今まで日本で知り合っていた画家や先生らとは一味違っていた。彼の僕への話し方は先生でも先輩のものでもなかった。版画にこだわらず、舞台や音楽を含めて広いメディアで発表している人らしい。アートの話よりも政治や科学の話になる。明るい日射しの中でコーヒーを飲みながら、または彼のロフト(アトリエ兼住居)で聞く彼の話は僕にとっては新鮮だった。めまぐるしく動く歴史や社会と関連したアートの話は今までほとんどしたことがなかった。
 今まで移動してばかりで、やや自分の旅行の目的がわからなくなってきていたり、一所に根をはってがんばっているニューヨークのミワコさんがうらやましくもあったのだろう。自分が関われる場所でしばらくの間滞在してみたくなっていた。「あんた英語も話せるみたいやから、ここにしばらくいたらどうや」という言葉にも甘えて、僕は夏の間滞在しながらカラで版画制作をしたいと、仲野さんに言ってみた。こうして僕がここサンフランシスコ・ベイエリアを拠点とする第一歩が始まったのである。



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