Hiratsuka familyと
ニューヨーク滞在の後、僕とユウスケは一路出発地の西海岸、ロサンゼルスに向かって走っていた。南部の州をゆっくり廻って東海岸にやってきてニューヨークに滞在しているうちに、ロザンゼルスを出てから三週間経っていた。レンタカーは一ヶ月で返すつもりでいたので、大陸のまん中を突っ切って数日でロサンゼルスまで帰ることにした。
日本を経つ前にある人から、アメリカに住む大阪出身の版画家の住所を聞いていたので、彼を訪れることにした。平塚雄二氏はニューメキシコの大学院に留学し、その後教職のポジションを得てアメリカに残っている。当時は中東部インディアナ州の大学で版画を教えていた。事前に電話で連絡を取り合って、ブルーミントンという町にやってきた。東海岸は西海岸と違って緑が多い。小雨の降る緑の山がちの土地を通って、平塚氏の家にやってきた。
小さな一軒家の前まで来ると、アメリカ人の奥さんと大きな犬と一緒に平塚さんが出迎えてくれた。奥さんは妊娠していてお腹が大きくなっていた。玄関からは一応土足厳禁になっていた。奥さんの手料理のベジタリアンカレーをみんなで食べて、話をした。平塚氏は大阪で活躍していた版画作家だったところ、奨学金を受けてニューメキシコに留学することになり、大学院在学中に奥さんと知り合い、最近結婚した。大学院修了後、ニューメキシコで教官として残ったが、その後インディアナのポジションを得てここに移ってきた。アメリカ人は日本人よりももっと気楽にアートを買ってくれることとか、別にニューヨークや西海岸に住まなくても作品は郵送して発表できることなど、僕としては興味のある話が聞けた。アメリカには旅行で来ている身の僕だったけれど、アメリカに居着いて活動をしている平塚氏の姿は、僕のその後の方向性を決めるのに大きな影響を与えてくれた。
彼らの家を後にすると、何もない大陸の平野をほとんどノンストップでまっすぐに走り、三日後に西海岸に帰ってきた。彼への訪問は長い大陸横断の唯一のストップ地点ということになった。
平塚氏とはその後電話連絡や手紙で交流を保った。彼らには二人の子供ができ、近年はオレゴン州立大学で教鞭をとっておられる。彼の作品をあちらこちらの展覧会で見かけるだけで、実際に会う機会はずっとなかったが、2004年にサンフランシスコでの個展の時にひさしぶりに再会した。連れてこられた二人目の子供は14年前に会った奥さんと同じ目をしていた。
彼に影響され、その後がむしゃらにアメリカで作品を作ってきた僕だが、この広大な地で家族を持ち、作家として、一人の人間として人生をまっとうしようとしている彼の姿を思うと、自分がまだ何も確立していないことを痛感する。次回彼に会う日があるとすれば、僕はどんな状態の時だろう。