灼熱地獄、グランドキャニオンの底

 バークレーのカラ・インスティテュートに夏の間滞在して版画制作することを決めた後、下宿先を仲野さんに探してもらっている間、グランドキャニオンに再び行ってみることにした。大陸横断ドライブの途中て寄った時は上から眺めただけだったので、今回は渓谷の下に降りてみてキャンプをすることにした。グレイハウンドバスを乗り継いで、一ヶ月前、5月の中旬にユウスケ達と来たこの地に再びやってきた。そして、前回とは全く違うグランドキャニオン体験をすることになるのだった。
 グランドキャニオンの底にはキャンプ場は三ケ所ある。一ケ所に一泊ずつ、計三泊することにした僕は、スーパーマーケットで買い込んだ三日分の食料を背負ってトレイルに沿って下に向かって降りはじめた。こういう場所では、行き交う人々とはひとりひとりと「Hi!」と挨拶するのが印象的。馬に乗った人々もいる。上から見ているのとは違って、視点が移動するに従って、様々な表情の岩肌が展開する。日の当たっている部分と影になった部分のコントラストがダイナミックで、その形が歩くにつれて変わっていった。
 すぐに背負っていた荷物が重くなってきて、つま先に負担がかかってきた。他のキャンプなれしたパッキングをして歩いている連中がうらやましかった。仕方なく、できるだけ荷物を軽くするため、果物などの食料をところどころで食べながら歩くことになった。
 やっとのことで底に着き、最初のキャンプ場にたどり着いた時は日が暮れかけていた。暑さと荷物の重さでくたくただった。そこで会った他の若者がガスコンロなどを使って手慣れた様子で夕食を作っているのを横目で見ながらも、パンに缶詰のサーディンなんかをのせて食べた。六月も下旬に差し掛かり、夏至のあたりだったのだから当然なのだが、夜になってもかなり暑かった。テントも持ってなかった僕も含め何人もが地面に寝袋を並べて寝た。アリゾナの大自然の澄んだ空気のため星空がきれいだった。慣れない英語ながらも色々話しながら、、、。
 疲れていたせいか翌朝他の人よりも遅くまで眠っていて、歩き出した時はもう気温が上がっていた。多くの人が日中の高温を避けるため、かなり早く出発するようだ。僕も次のキャンプ地を目指してコロラド川を沿いを歩いた。一年で一番日の長い時期の午後に、アリゾナの谷底を大きな荷物を背負って歩くのである。もうもう、その暑さといったら!二十分に一度ぐらい川に飛び込んで体を冷やした。大自然の見事な景色など楽しんでいる余裕など全くなかった。苦しくて苦しくて、とにかく早く次のキャンプ場にたどり着くことしか考えられなかった。しかし、それぞれのキャンプ場は歩いて一日かかる距離だったのだ。
 二日目、三日目のキャンプ場のことはほとんど覚えてない。どちらもたどり着いた時はクタクタで、しかも毎回同じようなサンドイッチを食べて眠りこけただけだったのだろう。一度、日が暮れる頃着いたキャンプ場で、ようやく過ごし易くなった空気の中で、赤い岩肌に残る最後の日射しが、青い陰に被われて行くのを見ていた記憶がある。
 とことん疲れていたせいで、結局毎朝昼前まで起きられず、三日間最高気温の中を歩くはめになった。そして二十分に一度必ずコロラド川に飛び込むことになった。他の人と同じように早朝から歩き始めていたら、またはキャンプ用の軽い食料などをそろえていたら、もっとこのハイキングは楽になっていただろうし、素晴らしい景色を楽しんで、その印象の方が暑さの記憶に代わって残っていただろう。
 三日間この灼熱地獄を歩いた後、四日目はいよいよ元の地点、渓谷の上に戻る行程になった。崖を下りたのだから当然上らなければ帰れない。荷物はだいぶん軽くなっていたものの、やはり1マイルも上にある「地上」は、三日間の灼熱地獄で燃焼していた体にとって、限り無く高く思えた。少し歩いては休んで、崖の上を見上げている僕には、頂上はいつまでも近づいて来ないもののように思えた。「行きはよいよい帰りは恐い」というが、今回の旅は、行きも帰りも行程全部が大変恐いものとなったのである。

 あんな地獄の中でも取り合えず写真だけはいっぱい撮ったようで、こうして今眺めているのだが、写真は勝手なもので、あの暑さは伝えてくれない。やはり体験した者の体が記憶しているだけである。とにかく僕の一番暑い思い出である。


キャンプ場で出会った人々とコロラド リバー





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