ドイツの車掌さん、オランダの車掌さん

 アムステルダムに帰るためにラニとプラハを発ち、列車は進む。アメリカからはアムステルダムに飛んで、それからベルギー、チェコにやってきたので、最後はアムステルダムにもどらなければならない。
 前回のチェコのおばさんと出会った列車からはもう別の列車に乗り換えて、今はドイツ国内を西に向かって進んでいた。この切符は元々ベルギーのブリュッセルからプラハ往復を買ったものだ。だからブリュッセルに一旦帰り、そこからオランダのアムステルダムに向う列車の切符を買うつもりだった。プラハを早朝に出発したものの、このままではブリュッセルに着くのは夜の九時ぐらいになりそうである。そこからアムステルダムまで更に三〜四時間はかかる。このままだと深夜を越えてしまうだろう。プラハで風邪を引いたままのラニにとってはつらい旅だった。
 ブリュッセルに行かずに、ベルギーと同じくドイツに国境を接するオランダのアムステルダムに直接行けないかと、考え出した。現時点で距離的には同じぐらいである。そこで車掌さんをつかまえて聞いてみる。このチケットはマルチプルなので元の場所に帰らず、アムステルダムに進路を変更しても大丈夫と、この若い車掌さんはフレンドリーに答えてくれた。
 予定変更、北西、オランダに向う列車に乗り換える。これで、九時ぐらいにはアムステルダムに着けるだろう。しばらくして今度の列車の車掌さんが切符を点検に来た。僕達の切符を見ると、これではこの路線に乗れない、降りてブリュッセル行きに乗り換えるよう言ってきた。僕達は前の列車の車掌さんとのいきさつを告げたが、信じてもらえない。これでは話が違う!ここまできて今からブリュッセル行きに乗り換えていては、今晩中にアムステルダムに帰れなくなる。
 僕達は断固として降りないつもりで居座った。前の車掌さんの指事に従って行動を起こしたのに、今からダメだと言われては筋が通らない。もし、変更料がかかるなら払うから、と押しても、この種類の切符では、そのための料金が定められてないのか、それも聞いてもらえなかった。このドイツの車掌さん、他の車両スタッフなどに確認したりして何度か戻ってきたが、やはり問題だと言うばかり。僕達もだんだん声が高くなってきて、同じ車両の人々が皆知るはめになった。
 そうこうしているうちに、列車はドイツ〜オランダ国境に達した。何分間かの停止である。窓の外に先ほどからのドイツの車掌さんがプラットホーム上を歩いているのが見えた。まだ難しい顔をしているようだった。僕達はこのままどうなるのだろう ・・・。どうやら国境で管轄が交代したようだ。オランダの車掌さんが車両に入ってきた。ドイツの紺色のプレザーと対照的に黄色のプレザー、花柄のネクタイというユニフォームのオランダの車掌さんが近づいて来た。僕達はどきどきしていた。
 「この切符ではアムステルダムにはいけない。ここからアムステルダムまでの料金だけを払ってください。」
 さすが実際的な国、オランダならではの対応だった。それまでのいきさつはどうあれ、一番現状に合わせた判断をしたのだ。周りにいたオランダ人も、密かにどうなることかと声を潜めていたが、ほっとした空気が流れ、自分達の国の対応に誇りを感じていたようだった。
 ドイツはやはり規則通りになんでもきちっとやらなければ済まないお国柄である。それに対して、オランダは現状に合わせた実質的な政策をしていることで評判である。色々病んでいるヨーロッパ諸国が多い中で、それによってかなり上手くやってきているようだ。ドラッグ使用を一部認め、安楽死、同性結婚、売春を合法化。外国人労働者受け入れも多く認めているらしい。問題になりがちなことを逆に寛容に受けとめることで、問題を回避するこの国の実質的な体質は、今も昔も変わらない。
 黄昏れの中を列車は走る。オランダの各町のプラットホームを通り過ぎながら。アムステルダムに到着した時はとっぷりと日が暮れていた。

(1999年8月)



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