中国編第1回 鑑真のように日本海を渡る


下関港を後に

 以前イタリアから出発して陸伝いにインドまで東に向かって旅した時、日本から中国に船でわたり、僕とは反対方向に旅している日本人にあちらこちらで出会った。僕もいつか日本からそのようにして中国に渡って大陸を旅行してみたいと思っていた。
 大学院を修了した2003年夏、たまたま大きな絵が売れてお金を作れたので、日本に帰るついでに、ずっとやってみたかった中国の旅を決行することにした。遠い昔七世紀に中国に渡って仏教を伝えた鑑真和尚にちなんでつけられた鑑真号という大阪と上海を結ぶフェリーを、出合った旅人達は使っていたが、下関から中国の青島(ちんたお)まで出ている「ユートピア」というフェリーを使うほうが僕の日程に合っていることがわかった。地元の滋賀から本州西はずれにある下関まで新幹線で。騒がしい関西とは違って、下関はひっそりした感じがある。フェリーターミナルには中国語やハングルで表示がしてあって、日本の果てに来たんだなと思った。ユートピア号は巨大な客船だったが、ちょっと前に中国で流行っていたSARSのため、日本から中国への旅行者は全くなく、僕の他に客はビジネスマンが三人だけだった。彼らは個室を取っていたので僕は一番安い雑魚寝用大広間を一人で使うことができた。しかもこの少人数のために、日本語が話せてパリッとしたユニフォームのきれいな中国人クルーが何人も乗り込んでいた。いつもの年ならツアーの客で満杯になるらしい。

 26時間の船旅はずっと曇ったり雨が降ったりでほとんど船内にいることになった。ラウンジの本棚にはマンガ「三国志」(横山光輝)が全巻並んでいて、それが航海中の主な読み物となった。案内所のクルーの女性が僕の体温を計りたいと言ってきた。SARSの関係で入国前に必要らしい。僕が体温計を口に入れると、「アノ、ワキノシタ」と言ったのがおかしくて、それから打ち解けた。この女性に色々と中国語を教えてもらった。チーフクルーの張君は共同風呂の調子が悪いので気を利かして特別室のひとつの鍵を貸してくれた。雑魚寝の大部屋の料金しか払ってないのに、ゆったりと個室のお風呂を使わせてもらった。彼らクルーは日本語を必死で勉強して、ルックスとかの審査もパスした優秀な人材ばかりらしい。彼らにとって仕事の門戸を広げるためには日本語を修得することはかなり重要らしい。逆にこの日本のフェリー会社も中国人の安い労働力を利用していることになる。
 本州の先っぽと九州を両手に見ながら進んだ後は水平線だけになった。夜中に韓国の南を通り抜けている時だろうか、沖からの光が見えていたのは。それ以外は、青島港に入るまでは何も見えなかった。周りに浮かんでいる船などが下関でみたのとはやはり違う。大きな倉庫やクレーンなどを見ながらいよいよ青島フェリーターミナルに着く。ビザの手続きのため張さんにパスポートを渡してそのまま下船。おんぼろのバスでターミナル・ビルディングまで運ばれる。パスポートが入国管理局直前まで帰って来なかったのには不安を感じたが、無事中国入国。ビルには両替所らしきものは何もなく、僕は人民元を全く持たないで町に出た。当然タクシーにも乗れないので、知り合いに予約を入れてもらっているはずのホテルまで2キロほど歩くことにした。
 建物は古くて雑多な感じがあって、やはり緊張した。僕にとっては西アジア以来九年ぶりの第三世界だが、中南米とも西アジアとも違った雰囲気があった。何屋さんかわからない店がいくつもあったし、人々が道端で近所の人と話したりゲームをしたりしている。ちょっと昔の日本もこんな感じだったろうか。ただ僕は中国語はまるっきりできないので誰とも話せなかった。
 とにかくホテルまで行けば英語も通じて両替えもできると信じていた。目的のホテルには僕の予約など入っていなかった。しかも英語は誰も話さないし、両替えもやってくれない。この国を旅行するのは、想像以上にハードなようだ。ロビーの人が近くの銀行に案内してくれたがそこでもやはり両替えをやってなかった。そのかわり、銀行前のたちんぼヤミ両替えのやつが、なんと大胆にも、銀行カウンターに並ぶ列を無視して割り込み、カウンターから大量に人民元を手にいれて日本円と交換してくれた。
 翌日は西安に列車で発とうと思っていた。駅の切符売り場は買いにくいので旅行者はホテルのビジネスセンターで買うとよいとガイドブックに書いてある。だが、僕のホテルのはそれもやってくれない。結局、青島駅に行って列に並ぶくことにした。カウンターで「西安」と書いて見せると「もしもし」などと、とんちんかんな日本語を返してくる。しかし、意外にも翌日の切符が買えるとのこと。ガイドブックはあてにしないことだ。ところがお金が足りずまたヤミ両替えをしに例の銀行へ。先程ののやつはいなかったが、今度は銀行内の職員が、僕を別室へ通して個人的にやってくれた。こうして、とりあえず翌日は西安に夜行列車で発つだんどりになった。
 夕方の青島の市街を歩く。ビールで有名なこの町は中国人のリゾート地になっている。地価が暴騰していてバブリーな感じがした。目ぬき通りはオシャレなデパートが立ち並ぶが、ひとすじ裏通りはもう古い壊れかけの家が並んでいる。色んなものを売っている市が古い家々の間に伸びていた。とにかく人が家の外に出ていろんなことをしている。壊れた家の前で碁石をうっている人がいた。家の中は裸電球だけで暗いのだろう。公衆便所がどこにでもあり、入り口でお金を払うが、中は薄暗くて、そそくさと出てきた。


壊れた家の前で碁をうつ少年





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