コロンビアと聞くとたいていの人は麻薬とかテロとか、あまり良い印象をいだかないようだ。それと対照的に、僕の南米旅行中、一番多く、行く先それぞれで人々の親切に触れる機会があったのはコロンビアだった。 友人宅で過ごした首都ボゴタを後にして、長距離バスに乗り、サン・アグスティンに着いたのは夜だった。ここは世界的にはあまり名が知られていないが、ユニークな彫像がいくつも掘り出されたことでコロンビアでは有名な観光地になっている。ホテルを取り敢えず見つけ、カフェに座っていると、一人のおばさんが声をかけてきた。前も日本人が長く彼女のところに滞在していたらしく、僕にも、家に泊まってよいと言ってくれた。翌朝、この人、マリア・エレナの家に移る。二人の幼児と、二十歳の女の子、二人の息子に加え、お手伝いさんが住んでいる大きな所帯だ。旦那は昨晩マリア・エレナに会ったカフェ、エル・トゥリスティカの経営者だった。僕は動物の皮が飾ってある小さな部屋をもらって、ここに数日間滞在させてもらうことになった。二人の幼児はマリア・エレナの実の子ではないらしいが、とても愛らしく、よく遊んでもらう。 午後、遺跡を訪ねて歩いた。こんなにおもしろい風貌の遺跡群はみたことがない。中米で見た、マヤのものよりもずっと素朴でかわいく、ユーモアもある。話によると、アジアやアフリカから人がやってきて、この大陸にいた動物に驚いて彫刻を作ったのだそうだ。紀元前三三〇〇という古さも驚きだ。今考えてみると、この説は信用できるものかどうかわからないが、造型のこの上ない素朴さは僕をひきつけた。鬼の笑顔がとってもよい。笑い顔がとにかく笑っているのだ。 翌日博物館を訪れると、遠足でやってきた小学校の生徒達が、日本人の僕が珍しいのか、気にしだした。一人が日本語の文字でサインしてくれとやってきたので「杉田徹」と書くと、大喜び。ところが皆がノートを持って殺到した。これではアイドルかスターみたいだったが、とても対応しきれずに逃げ出したので、大騒ぎになった。一人の男の子が二十ペソをくれたりもした。なんのこっちゃ。僕はいったい何物なのだろう? この町には粘土細工や焼き物の伝統もあって、あちらこちらで民芸品の工房や店がある。いつも僕を見かけると追いかけてきて首飾りを売ろうとする老女がいた。彼女は家までついてくることもあった。ある日とうとう彼女のド根性にまいってしまって、買わなければしかたなくなった。全然いいものをもってないが、とにかく一つ安いのを買った。全然売れてないのだろう、どれもよごれてしまっていた。毎日歩き回って一体誰がこれらを買うのだろう。それでも、売るために歩き続けている彼女のパワーはどこから来るのか?とにかく印象の強い人だった。 夜はいつもカフェ、エル・トゥリスティカで過ごした。多くの旅行者が集まってきて、いつも楽しかった。いつも来ていて仲良くなったデンマーク人、ヘンドリックはちょっととぼけた感じのある人で、馬を地元の人から買ったのに、その後取られてしまったなんていうこともあった。僕はこの町で良いことが多かったが、そうでない旅行者もいたようだ。 マリア・エレナの息子の一人、ウィルソンは、よく勉強をほったらかして、粘土細工をしていた。粘土の乾きかかったスクラップから、ナイフと釘だけでどんどん教会や町並を作って広げていく。。すごいパワーとセンスで、見ていて気持ちよい。ウィルソンが僕に、と、教会を作ってくれたので、お礼に教会のある風景をスケッチしてあげた。すると今度は山のある風景を描いてくれた。お父さんは学校でもっと数学とかを勉強してほしいみたいだったが、これもすごい能力だとほとほと感心してしまった。この土地には古代から人をクリエーティブにする力があるのだろうか。 最後の晩はマリア・エレナや子供の一人ガブリエルと一緒にエル・トゥリスティカに飲みにいった。ヘンドリックもやってきて、ボトルを注文して皆におごり出した。彼に、彼のパスポートに日本語でメッセージを書いてくれと頼まれた。そんなことして大丈夫かなと思いながらも日本語を書くと、あげくの果て、漢字の成り立ちを説明することになった。彼のパスポートは日本語の文字でいっぱいになった。 翌朝、マリア・エレナが僕を長距離バスまで見送りに来てくれた。寂しい思いをしながらも皆にさよならを告げてこの地を後にした。旅行中はさよならを言うことが常だ。その頃はまだそれに疲れてなかった。先に先に行こうとしていた。 第三国を旅していると、お金目的で親切にされることもある。何度もこの親切には何か裏でもあったのでは、と後で思い返してみても、思い付くことがない。彼女は僕だけでなく、孤児の二人を引き取り、なんとかやっていこうとしていた。自分達の生活も大変なのに、先進国から道楽でやってきている僕をわざわざただで泊めて、ただで食べさせてくれる理由はあったのだろうか?本当の親切とは理解しがたいものなのかも知れない。まあ僕を滞在させることで、エル・トゥリスティカは僕の食費をカバーする分以上は儲けたと思えるが。 |
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