ミリアンが失踪した日


 グアテマラでスペイン語学校に通ったことにについては依然に書いた。地震で壊れた教会などを背景に、色とりどりの衣装を着たインディヘナ(原住民)が商売品を抱えて行き交う、アンティグア・グアテマラという中米の古都。ここに滞在して、スペイン語の個人教授を受けていた二ヶ月の間は多くの人々との出会いと色々な思い出があった。

 学校が紹介してくれたホームステイ先のゴンザレス・ファミリーは、ちょっときれいなおかみさんのエレナと旦那(いてたり、いなかったりで、ついに何の仕事をしているか解らなかった)、十代の息子エストゥワルド、小さな女の子サラ(手術をした後とかで丸坊主だった)の四人。インディヘナの多いグアテマラではかなり白人系の家族である。住み込みのお手伝いさんのミリアンは例のごとくインディヘナ系である。お手伝いを雇えたり、貸せる部屋を持っているぐらいなので、一応裕福だったと思われる。アメリカに観光旅行に行ったこともあるというが、この国の人の中では、ある程度お金持ちしかできないことだ。
 ホームステイ中に家族ごと別の大きな家に引っ越したことがあった。ところが、その引っ越しが済んだ次の日から、お手伝いさんのミリアンが帰らない。彼女がいないと昼食を作れないので、エレナとサラと食堂へ行った。エレナの話によると、ミリアンは二十三才で(ずっとふけて見えた)二人の子持ち。彼女の夫が殺されたらしく(グアテマラでは政治的な抗争でのインディヘナの犠牲者が多い)、二人の子供を実家にあずけてここの家で働いているらしい。仕事はとてもきれいだが、アルコールが過ぎるのが困るとのこと。しかし、彼女の境遇を知った今、酒を飲むのも、時々大声で歌っているのもわかるような気がする。
 ミリアンがいなくなって三日か四日めの夜、約束があったので出かけると、バーの前で僕を呼ぶ者があった。ミリアンだった。酒がかなり入っているようだ。「みんな心配してるから帰ろう」と言ったが、まずビールを一杯だけおごってくれというので一緒にバーに入る。僕のスペイン語はまだつたなかったが、色々と聞き役になってみた。彼女によると、どうやらエレナが先週、給料を払わなかったらしい。おそらく給料といってもわずかなものかもしれないが、彼女にとっては大金だったのだろう。よく僕がインディヘナの作ったセーターを買って着ていると、値段を聞いて驚いていたぐらいだから。彼女の口元にある傷がめだっていて、兄弟と喧嘩してつけられたということもそのとき聞いた。
 ビールをもう一杯などというので僕もキレてしまった。日本語で罵声を浴びせ彼女を残してバーを去った。家に帰り、旦那とエストゥワルドに彼女が近くのレストランにいることを報告したが、驚いたことに彼らは迎えに行こうとせず、エレナも姿をみせない。しかたがないのでもう一度僕がバーに迎えに戻ると、レコードに合わせて大声で歌っている。その姿をみると。やはり僕には彼女をあの家に連れ戻すことはできなかった。  翌日の何時かにミリアンは帰ってきたらしいが、しばらく二日酔いのため働けなかった。エレナもだれも、このことについてはもう話をしなかった。この家族のことを思い、ビールをおごってまでつれて帰ろうとした僕の苦労も何もない。お金持ちの家というのはこんなものだろうか。どこか腐っているような気がした。  ミリアンはそれからも時々ビールをくれなどと言うことがある。うつろな目をして。アル中なのかもしれない。やりきれなかった。
 僕のホームステイの最後の週にもう一人、スペイン語学校から紹介されてゴンザレス家にパリジャンの女の子がやってきた。ナスターシャ・キンスキーに似たきれいな白人だったがミリアンやたら彼女に優しかったのが不自然だった。



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