イースター島訪問記

南米放浪も終盤に近づいた時、謎の巨像モアイで有名なイースター島に行くことになった。イースター島はチリ領ながらサンチアゴから飛行機で4時間も離れた南太平洋の孤島。宿も食物も高いと聞いていたので食料を買い込む。
サンチアゴの空港へ着いた時、一人のチリ女性が話しかけてきた。オレンジを詰め込んだバッグをイースター島に住む娘夫婦に届けてほしいとのこと。麻薬の密輸か何かに巻き込まれるのでは、と心配もしたが、信用できそうだったので引き受ける。代わりにイースター島では彼等の家に安く泊まれることになった。
島に着陸した時は雨だったが、娘むこが迎えに来ていてバイクで彼等の家へ。サンチアゴ空港で会った女性の娘パウリーナはイースター島の住民シモンと結婚してこちらに暮らしている。最近生まれた赤ちゃんもいる。イースター島ではスペイン語の他にポリネシア系の言語が話されている。シモンの兄のリンはウクレレに似た楽器を演奏する人で、彼等のパフォーマンスに招いてくれた。この中で日本のあやとりに似たものを披露してくれたのが印象的だった。

モアイ像たち


パウリーナ、シモン、赤ちゃんと

翌日からきれいに晴れて、南洋の風と青い海、草原の丘面に日の光がゆるやかな形をつくる。僕は知り合った日本人とジープを借りたり、バイクや馬(この馬、全然前へ進んでくれなかったが)を使って島を回ってみた。モアイ像は島のあちこちに点在しているが、一番の見所はモアイの石切り場ラノ・ララク。奇妙な形をした岩山から彫刻して像を作り、最後に切り出して島のあちこちに運んでいったらしいが、それが、ある日突然ストップされた様子で何百体もの制作途中のモアイが、また運搬途中のモアイが置き去りにされている。ポリネシア系の民族が島に来た時、数々のモアイ像だけが残されていたのだ。これを作った人々は何のために作り、そして突然どこへ行ってしまったのか。
島では日本のテレビ撮影隊をはじめ、研究者や多くの旅行者に会った。地元の女の子にディスコに連れて行かれたりもした。村に日本製ゲームセンターまであるのには閉口したが…。南海の孤島とはいえ、外国人と接触する機会の多くなってきたこの神秘な島の人々の生活は変わりつつある。
シモンとパウリーナの赤ん坊にはまだ名前がなく、僕は日本人の名前の例をあげておいたが、その後何と名付けられただろう。数日後、名残り惜しくこの美しい島を離れ、サンチアゴ空港に帰ってきた僕を、パウリーナの母親が迎えに来ていた。




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