パールハーバーに思う


この下に沈んでいる戦艦アリゾナから今も浮かび出る重油

 世界中を旅していながら意外や意外、ハネムーンはハワイのホノルルにした。サンフランシスコが寒い寒いと嘆いている僕の嫁さんのアイデアだった。しかしホノルルといえば日本人新婚さんのハネムーンのメッカだ。ハードコア・バックパッカー出身の僕としては一番避けたい地であったが、行ってみると、カリフォルニアに十何年も住んでいる僕としては、案外興味深い旅行となった。
 日本人も本土のアメリカ人も同じくらいの数の旅行者がやってくるホノルルのワイキキビーチ。どちらが外国人で現地人かわからない。いやハワイはどちらの土地でもない。もともとは、ポリネシア系原住民の土地なのである。しかし、日本やフィリピンなど他のアジアからの移民がかなり古くからあり、西洋諸国との関係も1898年アメリカの領土になる前から始まっている。だから民俗や文化の混合はかなり進んでいる。
 ホノルルからわずか車で三十分のところにある真珠湾、パールハーバー。アメリカ人も日本人も高級ホテルに泊まり、ビーチで優雅に休暇を楽しんでいるホノルルにいると、このハワイという地が両国の歴史上最も緊張した場所であったことを忘れてしまいがちである。ここは、日本が奇襲攻撃をしたことが切っ掛けになり、大平洋戦争が始まった地である。
 パールハーバーでは、日本軍に撃沈された戦艦アリゾナが今も沈んだままで、そこがそのまま記念館になっている。そんなところでは、日本人は悪者に描かれ、訪れるアメリカ人も右翼系の人ばかりだろうと、嫁さんは行くのを躊躇していたが、僕としてはやはり自分の目で見てみたかった。入り口すぐの歴史資料室は、ホノルルとは対照的にほとんどがアメリカ人観光客だと気付く。まず四十人づつぐらいのグループごとに真珠湾攻撃のビデオをみせられ、それからボートが観光客を、沖に沈んだままアリゾナの上に橋かけるようにして建てられた記念館に運ぶ。ここからは沈んだままのアリゾナを一望することができた。この下には1700ものアメリカ海軍兵が眠っているという。今でも船体から噴き出した重油が、水面に虹彩色の模様を浮かび上がらせていた。この海上の墓地を訪れる人々はさすがに厳粛なムードを保っていた。
 二千一年にニューヨークのテロがあるまで、アメリカの領土で直接戦災にあったのはここだけだった。「リメンバー・パールハーバー」というフレーズで愛国心を維持するために、この地はつねに米国民に語られてきた。アメリカは、ルールをやぶって攻撃してきた日本軍の被害に会い、正義の戦争のために立ち上がったと。終戦後は、日本を含め世界中がそう理解してきた。
 ところが最近は日本軍による真珠湾奇襲攻撃のストーリーに疑問がでている。アメリカ政府はすでに日本軍のハワイ攻撃を知っていながらわざとさせた。日本との戦争に巻き込まれることに反対だったアメリカ市民に正当な戦争開始の理由を与える策略だったという説が出て来ている。
 歴史は戦勝国が自分達を正論化して書く。アメリカは大平洋戦争に勝ち、日本は負けた。もし日本が戦争に勝ち、自ら歴史を書いていたら、真珠湾攻撃を正論化していただろう。そしてそれが世界中で信じられていただろう。日本人は戦争中はあれだけアメリカを敵国として嫌っておきながら、敗戦後、アメリカを嫌う者は少ない。原爆を二度も落とされているにもかかわらず。これはやはり戦勝国が正義として書いた歴史が我々に教え込まれているからだろう。現に僕などはアメリカに好んで住んでいるのだ。そして、日本が過ちを犯したとされているこのパールハーバーに観光客としてやってきている。こう考えてみだすと、やりきれない気持ちになる。世界中あちらこちらに行ったが、アメリカに住む日本人という立場がこれ程複雑に感じられた場所は他になかった。しかもその地は日本人とアメリカ人が一緒に観光を楽しんでいるホノルルのとなりにある。一人一人の観光客はどのように受けとめているのだろう。

 二千一年のニューヨークのテロは、アメリカが二回目に被害者になった事件だった。そしてアフガニスタン、イラクといった国々が悪者とされ、戦争が正当化されている。パールハーバー同様、この事件の真相はおそらく永遠にわからないだろう。

(2004年11月)



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